メッセージ|量子デバイス物性研究室

石谷から学生へのメッセージ

 人生とは何か,正しいことって定義できるのか,働くってどういうことか,ものを断定的に言い切っている人たちが多い中で本当にそんなことができるのか,私たち研究者はどういう結果を世の中にもたらすことが意味のあることなのか,など色々なことに頭を悩ませます。こんな時,どのようにものを考えるか,その方法が分からなくなっていると感じます。私が常々思うことは,我が国においてものの考え方に関する教育が貧弱であることです。皆さん,高校生まででどの程度そういった教育を受けてきましたでしょうか。私は幸い高校・大学ともに非常に自由度の大きい環境で,多くのことを自分で考え行うことが当然でその結果も自分に返ってくるというところでしたが,それでもものの考え方を理論的,実践的に表だって教育された記憶はありません。

 ことの発端は大学2回生の時に同じフロアにいた同学年の経済学部の学生が浅田彰先生の「構造と力―記号論を超えて」という本の話をしていたことと,その後研究室に入った時に「相対化」をするということを先生がおっしゃっていたことです。「正義論」などの各論はともかく,人生の根幹,ものの価値といったものがどのように生じるのか,我々は何をなすべきなのか、こういったことをどのように考えるべきなのか。しばらく大学院卒業後仕事の忙しさにかまけてそういったことを考えることから遠ざかっていました。ところが,40歳を超えたあたりから自分の毎日を振り返りそういったことを再び強く思うようになってきました。答えは得られていませんし,当分得られる気もしませんが,いくつかのことに関しては濁った水から透き通った水の中で近くを見るぐらいのことはあったように思います。「働く」とはどういうことかはハンナアレントの考えを読むと少し見通しが良くなります。私たちがものを認識するということはどういうことかはソシュールの研究を掻い摘むと少しわかる気がします。一方ものの考え方は社会の成り立ちによっても変わります。西洋と東洋,東アジアの中でも中国,韓国,日本とそれぞれ考え方は異なりますが,一定の考え方に従って分析はできるのだと思います。

 では,私たちが仕事をする上で自然やその上に立脚する技術とどう向き合えばよいか。このことも上記のことに大きく依存している気がします。ものを考えるのは人間で人間は社会の中で活動するからです。話は飛びますが,その上で私はできるだけ新しい価値観をもたらすことに時間を割きたいと思っています。もちろんこれも相対的であり,それぞれのコミュニティー,層,分野などで相対化されます。今まで色々な発見や技術躍進がありましたが,その発見や躍進は形を変えて今後も続いてゆくのでしょう。その中で自分の立ち位置を相対化し,一定の決断をする必要があります。

 私たち教員はその貧弱な経験を針小棒大にとらえ,これにしがみつき,そこから離れられないことや,貧弱な経験でしかないことにさえ気づかずにものを断定的に話すこともあります。そのことに常に注意して研究活動や学生と過ごすことが必要に思います。一方学生の皆さんは大いに勉強し,自分の頭で考え,得た知識を考える(行動の結果についての考察も含めて)という実践に結び付ける訓練をすることが望まれます。他人の言っていることを鵜呑みにしない,自分の頭で考えること,そのための勉強を数学や物理だけでなくものの考え方そのものに遡って行うことを自分自身を含め本研究室を構成する教員,学生全ての皆さんに求めたいと思います。

 私が直接行っている研究テーマではできるだけこういったことを意識してテーマを選んでいます。私の説明不足のため内容についてお認めいただけない場合も出てまいります。でも辛抱強く研究を継続して新たな考え方や物性の利用の価値を提案してゆくことが必要であると思っています。そのうえで他の研究者にその価値が認められた時の感慨は格別になります。多くの学生さんが企業に就職します。私も短い間でしたが大学を卒業直後は企業におりました。その点から相対的に大学で行うことができる可能性の大きいことを学生の皆さんには提供しようと思っています。

石谷善博
2020年5月